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書きもの、詩 

 
  • 日曜日にカゼをひくあとがき

あとがき

2018年の秋に坂本さんと10年振りに再会した。
そこで「今もまだ詩を書いているよ」と言われ、このページを教えてもらった。
或る日私は貪るように読み進めることになる。

坂本パルコの
新潟の
実家に帰ります

「not yet seen」「late summer」という詩まで読んだ時には、もう、詩の向こう側にいるであろう坂本パルコに恋をしていた。
好きで好きで仕方がない、
どっぷり沼に浸かっていた。
33篇の詩を書き終えた彼に私は思いきって連絡を取った。
連絡を取ってから彼に会うまで4ヶ月かかり、そこで「詩の連載をしませんか」と持ちかけた。

私は副業ができないので私のページでならいいよ

というのが彼の返事だった。
アキヲさんを加え、打ち合わせを重ねた。
続き物を週に1度掲載し、間日に未掲載の詩を更新することが決まった。
日曜日に更新することから

日曜日にカゼをひく

というタイトルがいい
坂本さんがそう言った。
魚喃キリコの短編の題だった。

「㐧一話」に坂本さんは苦しんだ。
今掲載されている㐧二話の内容が(今はかなり加筆修正されているが)当初の㐧一話だった。
坂本さんは納得せず、時間をかけ、現在の㐧一話を書き上げた。

うらがえしのスマートフォン
塩水にひたしたリンゴ
短すぎるカーテン

坂本さんが過ごしてきたであろう日常を連想させる言葉がそこには在った。
私はこの㐧一話を読んだ時、この連載はイケる!と確信した。
そして㐧二話は未完成のまま㐧三話の初稿を坂本さんは送ってきた。

これを書いたらなんだか楽になった気がする〜

そんなことを言っていたのを覚えている。
その日の深夜だった。
㐧四話が送られてきたのは。
私は言葉が出なかった。
次の打ち合わせの時にアキヲさんは言った。

次の掲載は二話を飛ばして三話を載せましょう

思いは一緒だった。
㐧四話をいち早く読んでもらいたい
物語になっていくのを感じたのだ。
㐧五話〜最終話もすぐに初稿が届き
終わりに圧倒された私たちは読み合わせをし
坂本さんがページに起こし
すぐさま校了。 物語は完結した。
救いのある完結ではない、
彼はリアリティのある完結を求めた。
そして最後の最後で魚喃キリコ氏のオマージュである一言を添えていた。
私は泣いた。
涙が止まらなかった。
勝手なことを言うがこれは私の物語だ。
私がそこに居たのだ。
何もない、何も握れずにいる、私が居たのだ。
冬美ちゃん(坂本さん)ありがとう。
私は一緒にこの連載ができてシアワセでした。
そしてまたいつの日か
一緒に仕事ができることを望みます。
私は今でも10年前に記憶がなくなるまでワインのボトルを空け続けたあの日のことを覚えています。
楽しかったんです。
楽しかったんですよ。
本当に。
そして読者になってくれた皆さま、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
詩なんて読まない
文学なんて知らない
そんな女の子にこの物語を読ませたらどう思うのでしょうか
私はこの物語を静かに広めたい。

Akko
アッコ


週に一度は仕事を早く切り上げ打ち合わせ
週に一度はグループLINEやSkypeで打ち合わせ
それも無償で
それは印刷のような同じ暮らしを続けていた僕の初めて見つけた抜け道だった
同居人には不思議な顔をされていたおよそ一ヶ月半

坂本さんは僕たち2人をずっと"チャン"付けで呼んでいた
すごく自然にちゃん付けで呼ぶのだ
普段ちゃん付けで呼ばれることなんかない僕は、実はなんというか、嬉しかった
そんな坂本さんのことを少し話そうと思う
正直何を考えているのかわからない人だ
気難しいのかと思えば凄く気働きができてやさしい人だし
何を言っても笑ってくれるし僕がすべりそうになると絶妙な返しで笑いに変えてくれる
どうしようもない話も好きだし下ネタはエグいくらい喜んでくれる
素直でとっつきやすいし男の僕が言うのも可笑しいが一緒にいて安心する
詩の主人公の性別も判らないと思う
坂本さんは中性的なところがある
アッコさんとは女友達のように話していた
ちょっとその距離感がうらやましかったのを覚えている
決して男性的ではない独特な色気がある人なのだ
1度坂本さんが詩を書いているところを見せてもらったことがある
坂本さんは僕に語りかけながらMacBookに文字を滑らせていく

「アキヲちゃんはさ、トースト食べる時なにか付けたり乗せてたりする?」
「私はさー、こんなふうにオレンジのピューレを乗せたりとかクリームチーズを齧りながらとか、食べないんだよね。食べると思う?笑」
「日常を覗けるまで近しい人がいるとさ、生活への小さな拘りというか途中の答えっちゅーかが見えて、そういうの好きなんだよねぇ」

僕はこうして坂本さんのリアリティを体験していたのだ
この場合のリアリティというのは本当のことのようなウソ
嘘のようなホントウである

日曜日の話に戻そう
最初は色々と馬鹿なことを言っていたと思う
Webページのデザインにも色々と口を出した
結果としては何も通らず不服に思ったこともあった
しかし坂本さんがデザインしてきた白と黒を基調にどこか紙をイメージさせるデザイン
ほんの少しカーブがかったマスクがかけられた写真に明朝体のタイトル
青山なのさんのすいせんの言葉
角丸ではなく真四角の詩に飛ぶリンクボタン
僕はシンプルに格好いいと思った
雑誌の中の1ページをイメージしているのだと僕の中で思った
坂本さんの仕事は早い
早く先が読めた分
物語の構成を練る時間が増えた
その時間は至福だった
3人で笑いながら次々とアイデアを放り込む
意味のないひとりごとにも全部に意味を持たせてくれる鋭い2人
ただただ楽しい時間だった
日曜日の四話が送られてきた時、僕は真っ先にフラワーカンパニーズの「深夜高速」を思い浮かべた

生きていてよかった
生きていてよかった
生きていてよかった
そんな夜をさがしてる

三話の終わりと同じユーモアを期待していた僕は突き落とされた
敢えて日常しか描いてこなかった坂本さんの描く精一杯の内面だった
叫び
だと思った
この人は普段から明るく振る舞い過ぎているのではないのか?
坂本さんのことをそう思う時がある
心配になってしまう
そんな人だと思う
僕はそんな坂本さんの試みを後押ししたかった
そこで思いついたのが涼宮ハルヒのアニメだ
話の時系列はバラバラに配置されているが最終話に最高潮を迎える構成の画期的な作品だ
敢えて四話を先出しさせることによって二話と三話の主人公の行動の見せ方を変えたかった
坂本さんは本当になんでもない日常を真面目な顔で面白可笑しく書く人だから見逃してしまう
こんななんでもない日常
そして誰もが抱えているであろう誰にも明かさない感情
この主人公は決して何かを"待っている"わけではない
坂本さんは"さがしている"と繰り返した
その意味を僕とアッコさんはとても理解した
そして消え入りそうな力強さを持つ主人公の言葉が繰り返されて物語は終わった
この物語を読んで
何も感じない人
感じても感情に出さない人
涙を流す人
何も感じないけれど涙を流す人
色々いると思う
この物語は現実的な感情を胸の中に置いてくれた
それは僕の日常から忘れかけていたもので
そしてどこかに潜んでいるものだと知っているから。

読者の皆さま、そして僕のあとがきまで読んでくれた奇特な方、ありがとうございます
こんな僕もこんなに素晴らしい方達と一緒にこんなに素晴らしい企画に参加することができました
あの頃はよかったね
という"あの頃が"またひとつできた気がします。
坂本パルコ最高!!

Akiwo
アキヲ


当初「日曜日にカゼをひく」を連載するにあたり
物語のテーマらしきものはありませんでした。
どう足掻いても過ぎていく休日
その「空しさ」と「諦め」を書けたら
そんな思いでした。
ですが、物語が一話、また一話進むにつれて、主人公の姿がぼんやりと、そしてはっきりと見えてきました。
毎日の暮らし、過ぎていく日々をどういった感情で迎えているのか
それを想像してしまった時
私は感情移入してしまったのです。
魂が宿った
そう表現してもよいのでしょうか。
そして出た言葉が

「毎日、死にたいんです。」

でした。
私はこの一言でこの物語を殺してしまいました。
殺す他なかった、と思います。
生きてくのが重たくなった時に
人はこういう声で話すんだなって思いました。
生き返らせることも救うこともできない
そう思った時、私はそれを主人公に委ねることしかできませんでした。
彼女(若しくは彼)が探している"知らない何か"
それとの出会いはきっと全てを救ってくれるのかもしれない。
救ってくれないのかもしれない。
自分の中だけにわきあがって
少しの間とどまり、うつりかわり、きえていく。
ちいさな、ちいさな気持ちというものたち。
でも誰かもきっと
そんな時を待ってるって
私はそう思うんです。

最後に、このWeb詩集を制作するにあたり推薦文を書いてくれた青山なの、企画・構成をしてくれた明ちゃん、敦子ちゃん、それからいつも私を支えて好いて呉れるみなさんに。
記して感謝します。

二◯一九年 七月

坂本パルコ
坂本パルコ

あとがき

date
2019.07.28
write
parco and acco and akiwo
photo
hana